ゴー宣DOJO

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切通理作
2010.11.22 05:38

卑怯者からの脱却のために 「アイヌ系日本人からの告発」を受けて

      

       僕は「ワイドショーのコメンテーターになりたい」という夢を持っているのですけれども、もし仮になれたとしても、この問題については、語ることすら出来ないかもしれません。

    否、僕だけではありません。テレビにも雑誌にも、たいていのメディアで発言している人間にとって事態は同様でしょう。

    小林よしのりさんは、雑誌「わしズム」のアイヌ特集の時からこの状況をどうにかしようとしてきました。

           早くも一週間がたちましたが、砂澤陣さんが基調講演をされた第8回ゴー宣道場『民族と国民の葛藤アイヌ系日本人からの告発』について書かせていただきたいと思います。
   
    最初に小林よしのりさんから、もともとこの問題は取り上げること自体が難しいテーマであることが語られました。
   二年前、先住民族決議が衆参両院で会派満場一致にて採択され、これを受けて、政府の公式見解を示す「アイヌ民族は先住民族であるとの認識」という町村官房長官の談話が発表。アイヌが「先住民族」なのかどうかという議論自体がますますアンタッチャブルになってしまっています。
  それ以前から政治家が「日本は単一民族国家」と発言するだけで釈明しなければならないという「同調圧力」は続いていました。

    だから僕がワイドショーのコメンテーターになって、仮にアイヌ問題について語れたとしても、「日本は単一民族国家などというのはただの妄言に過ぎない」という文脈に沿った意見しか許されないでしょう。

    砂澤陣さんの基調講演ですが、胸に迫るものがありました。
   「アイヌ」という言葉はもともと「人」「男」という意味ですが、そう総称された複数の部族にはそれぞれの「自称」があったこと。
   「アイヌ」という言葉自体が、北方の多様な人間の多様な文化をひとくくりにするものであったということ。「アイヌ」が一つの集団として形成された事実は一度もないと砂澤さんは言います。
   「アイヌは、<所謂アイヌ>です」。

   僕はお話を聴いて、アイヌというくくり方自体が「近代化の産物」だったのだなと思いました。
   もし反差別と言うなら、そこから問い直さないといけないのですね。
   「各々の文化」を明確化してこないで、「歴史をキチンと見直し、オープンの場で議論」しないことが、逆にアイヌ差別を増やしているんだという砂澤さんの言葉にはうなずかされます。

   砂澤さんは、文化の多様性は個人の背景にあると考えています。
   それが差別反対の美名の中で、ひとくくりにされるのが我慢がならないと。

    砂澤さんは祖父の代から旧土人保護法でもたらされた給与地を「それでは自立できない」と手放したそうです。
    砂澤さん自身は40歳になるまで「アイヌ」ということにこだわらなかったと。
       
   ところが40過ぎて、アイヌでは当たり前になっている既得権について知り、ショックを受けます。
   またお父様の砂澤ビッキさんの芸術がアイヌ文化一般に解消されがちな動きがあり、個人の業績が否定されようとする向きにも疑問を覚えます。
   「人個人の権利を土足で踏みにじる同じ人間が主張する反差別とはいったいなんなのだろう」と。

   北海道議会の小野寺まさる議員は、所謂アイヌの人々の中でもごく一部の人たちがいかに利権を得ているのか、実態を報告してくださいました。
   小野寺議員がそれを追求しても、ある程度より先は「個人情報」ということで壁があり、責任の所在も特定できないそうです。
   
   ここで小林さんが、これは日本全体に蔓延している同調圧力の問題ではないかと問いかけます。

   沖縄から来られた高里洋介さんが、「わかっていても言わない、言えないというのは卑怯者。この国から卑怯者をなくしていかないと。そのためには私自身が小さいことでも卑怯者にならないようにしないといけない」と発言されました。

   またある女性参加者の方は、ある地方に住んでおられますが、たとえば自分の地元でこういう問題について集まりがあった時、出席して発言できるかどうかわからないと正直におっしゃいました。
   この方の発言には、なるほどと思いました。
   僕も東京にいて、遠く離れた北海道のことだから「なんでこういう問題について語られないんだ」と簡単に思ってしまえます。北海道でアイヌの利権問題について語り合う会がもしあったとしても、まったく人が集まらないだろうという砂澤さんや小野寺議員の言葉にも「そんなことってあるのか」と単純に考えます。
  しかし自分の地域の共同体の中で、そこに出席して発言することを考えた時、想像しただけで幾重もの重圧がのしかかってきます。
 
  そして僕は思いました。
  アイヌ問題について、反差別の美名のもとに、安心してそれ以上考えないということは、どういうことにつながるのかと。

  垂れ流された情報を無自覚に受け取って、そのまま信じるということにつながります。
  それは世の中のあらゆる問題においていえる。
  あらかじめ「ニュートラル」なんてことは、ないんだなと。

  堀辺先生が「征夷」という目的で北の方に農耕を拡大していった日本の武士の在り方を語られました。
  何処の国でも以前は部族氏族が蛮拠していた。それが近代に取り込まれるのがもっとも遅れたのがアイヌだと。

  そこで僕は思いました。
  遅れてきたということは、その分現代でもまだ歴史が見えやすいということではないのかと。
  つまり、日本史というものがどう成立してきたか、日本人自身が学ぶチャンスでもある。
  
  しかし、いまだに「アイヌ」という、一度そこに振り分けてしまったフォルダの中身を開けてみることすらタブー視されている。
  
  「アイヌに対して語ることに、臆病になってもらいたくない」
   そう砂澤さんは言います。
   その言葉を黙殺できるでしょうか!?  
 
   砂澤さんをゲストに迎えた前回の道場は貴重な機会であり、期間限定で全編が無料公開されるというのは、ものすごく意義のあることだと思います。
  テレビでも他の媒体でも論議できない問題を、ぜひ全国民の一人でも多くの人に知ってほしいです!

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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